仕事の方と言えば、映画・テレビドラマ・舞台・CMと、数え切れないくらいに出演されてます。
恋愛の方も、俳優の小坂一也さんと14年間に渡って交際・同棲を続け俗に言う事実婚でしたが入籍には至らなかった見たいです。
この記事の【目 次】
●生年月日:1942年11月23日 79歳
●出生地: 東京府東京市日本橋区 (現、東京都中央区)
●血液型: O型
●職業: 女優
●ジャンル:映画・テレビドラマ・舞台
●活動期間: 1958年~
●配偶者: 独身
●著名な家族: 俳優の十朱久雄 (父)
十朱久雄の三人兄妹の長女としてうまれます。中学生でモデルを初め、父親について見学に訪れた時にNHKでスカウトされて、1958年、NHK『バス通り裏』でデビューし、翌年に映画『借春鳥』で映画デビューを果たします。
それからと言うもの、沢山の賞を貰い2013年、2014年と翌年に、旭日章受賞します。
十朱さんは、1959年、17歳の時、映画「惜春鳥」での共演がきっかけで、歌手で俳優の小坂一也さんと知り合うと、周囲の誰もが十朱さんを子ども扱いする中、小坂さんだけがレディーとして扱ってくれたことがとても嬉しくて交際に発展したそうです。
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まだ、メールがなかった時代ですから、連絡手段はもっぱら手紙だったそうですが、十朱さんは小坂さんにベタ惚れだったので、せっせとラブレターを書いていたそうですよ。ここにコンテンツを入力します。
十朱さんは、この時すでに、家庭より仕事と決めていたため、小坂さんとは結婚しないことを前提とした交際だったそうです。
気がつけば、同棲もしてたし14年間が経ってました。それで入籍なしの結婚式をあげます。
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その一年後に、二人に破局が訪れます。そもそも十朱幸代さんは結婚式は形だけで仕事を選んでましたので、その辺で小坂さんとは結婚感が違ってたのでしょう、小坂さんに別の女性が現れてしまったので、二人の話し合いで分かれる事になりました。
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小坂一也さんとの破局の痛手を仕事で乗り越え、様々な映画賞に輝いていました。
小坂さんと別れて15年が経って十朱幸代さんが、47歳の1989年の時に12歳年下の西城秀樹さんと、結婚を考えるほどの真剣交際をされていたといいます。
記事によると、十朱さんが、神戸のオリエンタル劇場で行われた西城さんの舞台「坂本竜馬」を何度も観に訪れ、神戸の新オリエンタルホテルで、朝、お二人で珈琲を飲んでいたというものでした。
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翌年の1990年3月には、アメリカ・ロサンゼルスに10日間極秘旅行されるほか、共通の趣味であるゴルフを一緒にラウンドする姿が目撃されるなど、人目もはばからずデートを重ねられてたので、もう二人の結婚は間近と言われてましたが、二人の間に破局が訪れます。
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破局の原因は、双方の身内や親族の反対で結婚まで至りませんでした。十朱幸代さんの身内では、内は家系がいいから、それなりの良家でないと、西条さんの身内では十朱さんお年は47歳なので子供は産めるの?跡取りが出来なければ結婚は無理です。
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そんな訳で、十朱幸代さんが苦渋の選択で身を引いた形になり破局しました。
後に西条秀樹さんは、2011年に前立腺ガンが判明して全摘手術を行います。
2017年11月に立腺ガンが再発します。2022年2月20日午前9時41分に東京都内の病院で逝去されます。
十朱幸代さんが、一時、表舞台に出てこない時期があり、半身不随という噂や亡くなったのではと囁かれたこともありました。
実は、2010年の68歳の時に足首の大手術を受け車椅子生活を送っていたと言うことが分かってます。十朱さんは20代の頃から舞台で捻挫を繰り返し完治しない内にまた舞台に上がると言う生活を続けていたので40代になると両足クビが変形し、このままでは歩けなくなると言われるまで悪化してた様です。
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手術は、変形したくるぶしに腰の骨を移植するという大手術で両足の手術で21時間も掛かったと言います。その後に5ヶ月の入院と1年間のリハビリに頑張って、その甲斐があって病気は完治した様です。2011年にNHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』に2013年には、舞台『燃えよ剣~土方歳蔵に愛された女、お雪』に出演し、見事に復帰を果たしてます。
こんな感じで仕事に打ち込んでいる様です。
十朱幸代さんの恋愛に関して、色々と憶測で噂されてますが、本人が認めてる通りで正式に交際されたのは『小坂一也』『西条秀樹』さんだけと思います。
そらぁ~、仕事上の付き合いで打ち上げとか、飲みに行ったり食事をしたりする事はあると思いますよ。
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