1年にヘルニアの手術で2年目はフォームが定まらい。
10月に戦力外通告を受ける。
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元横浜DeNAベイスターズ・寺田光輝投手と言えば、ドラフト6位で入団した。1年目にヘルニアの手術をし、2年目の今季は試行錯誤してきたフォームが固まってきた夏場から、ようやく調子が上がってきた。スタイルも確立できはじめていたが・・・。
しかしプロの世界は非情だ。10月に戦力外を通告された。たった2年で、だ。
「やっぱりか、と。(調子が上がるのが)遅かった。年齢とか立場とか考えたら妥当だと思う」。寺田氏本人は冷静に受け止めた。
ここまで打ち込んできた野球が終わりを告げる…そう思ったとき、ふと浮かんだのだ。「医者になろう」と。
ただ働くだけであれば、おそらく職には困らなかっただろう。しかし勉強時間をしっかり確保することを優先すると、その要件を満たす仕事場を見つけるのは難しかった。
そんなとき、ある人と出会った。ベイスターズのOBである松下一郎氏だ。同じくOBである渡邊雄貴氏がオープンした店「Forty Four」でたまたま遭遇したのだ。
ほんの短い時間の世間話だったが、現在の状況を話したときに「自分のやりたい道があるなら、最悪、働かなくても1年は打ち込んだらどうかな。貯金もあるでしょ」と松下氏に言われた。
目から鱗が落ちた。そうだ。そういう貯金の使い方もあるじゃないか。
そこで仕事探しを断念し、勉強に没頭することにした。すると幸いにも、地元・三重の塾の先生が熱心に声をかけてくれた。かつて中学3年の受験時に通っていた塾で、現在は中学1年の妹が通っている。
妹の保護者面談のときに親の代わりに行くと「協力したいから、うちに来いよ。いいように利用してくれていいから」と、塾でのアルバイトだけでなく受験勉強の手助けまで申し出てくれた。
「人に助けられてばかり」と、その温かさに頭が下がった。これでしっかり受験勉強ができる環境が整った。
「これまでケガで病院にお世話になることが多かったから、お医者さんにもいろいろいることがわかった。面と向かってしっかり話を聞いてくれる人もいれば、全然こっちの顔も見ずにカルテしか見ていない人も」。
自身の経験から、自ずと患者が求めている医者像が見えている。
「病院に来るということは、心なり体なり何かしら弱っているっていうこと。そういう人たちに寄り添って、ちょっとでも『来てよかったな』って元気になって笑顔になって帰ってもらえるような、そんな医者になりたいと本人は望んでいる」
グラブとボールを聴診器に持ち替えて―。
「寺田投手」から「寺田先生」になる日を楽しみに待ちたいですね。
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