芸能ネタ

【65歳~70代】でシニア婚した男性芸能人と有名人のまとめ!

加藤茶1950年頃の日本男性の平均寿命が57.9歳でした。

現在の男性の平均寿命は、81.09歳まで伸びてます。

そんな中を、かなり年齢の差があるシニア婚をした「芸能人」と
「有名人」をまとめて見ました。

 

 


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シニア婚した男性芸能人・有名人まとめ

シニア婚出典https://www.sponichi.co.jp/entertainment/

加藤茶(68歳)が45歳離れた20代女性と再婚

加藤茶さんの最初の結婚は、1987年11月に18歳年下の女性と結婚。しかし2003年3月に離婚する。

離婚原因は、加藤茶はとにかく若い女性が好きな様で結婚後も浮気が絶えない、そんな浮気に悩まされていた鈴子さんが、ついに我慢できなくなって、離婚を申し立てたと言われています

2011年8月1日に、加藤茶(1943年3月1日生まれ)は、45歳下の河原綾菜さん(23歳)と再婚しました。

何んと驚くことに、この綾菜さんは加藤茶さんの息子の長男と同じ年齢だそうです。驚きですよね。

世間では、この二人の結婚を祝福する一方で『財産目当てだ』『生命保険狙い』だとかの中傷する声があるのも事実です。

また、綾菜さんは金持ちのお嬢さんとかと言う話も出ました。

橋幸夫(74歳)50代後半の一般女性と再婚

橋本幸雄出典https://www.bs-tbs.co.jp/music/

橋幸夫さんと言えば、現在の年齢が76歳で1960年にビクターから『潮来笠』で歌手デビューしました。

まさしく昭和の名歌手までになっています。

こぼれ話で、橋幸夫さんは実はビクターからデビューする以前にコロムビアのオーディションに落ちており、もしコロムビアからデビューしていたら、芸名が『舟木一夫』という芸名になる予定だったそうですよ。

橋幸夫さんは、1971年に日本航空JALの客室乗務員の凡子(なみこ)さんと結婚して長女(奈央)と長男(龍吾)を授かる。

2016年11月に凡子さんと別居に続き2017年末に46年間連れ添った凡子さんと離婚。
離婚原因は、橋幸夫さんの浮気と凡子さんの介護疲れで怪しい宗教にハマった為だと言われてます。

清水国明は4回も結婚していた。

あのねのね

清水国明さんは、原田伸郎さんとコンビで1973年に『赤とんぼの唄』でフォークソング歌手としてデビュー大ヒットを記録する。

1970年代中期から1980年代初頭にかけて一世を風靡します。

これまでに清水国明さんは4回も結婚しました。

1回目の結婚
1967年に元タレントの清水クーコさんと結婚したが1984年に離婚

2回目の結婚
1984年に14歳年下の一般女性と結婚する。

3回目の結婚
2007年にダンサーと結婚したが2015年に3度目の離婚

4回目の結婚
67歳の時に25歳年下の女性とできちゃった結婚をする。

上原謙(67歳)38歳年下の銀座のホステスと再婚

上原謙出典https://www.nikkan-gendai.com/

上原謙さんと言えば、戦前と戦後の日本映画界を代表する二枚目俳優です。

最初の結婚は、1936年10月に女優の小桜葉子さんと結婚して1937年に長男(加山雄三)さんを出産します。

1970年5月に離婚ではなく小桜葉子さんと死別します。
1976年の67歳の時に38歳年下の銀座のホステス(大林雅美)さんと再婚します。
1980年11月に、御年71歳にして女児(元女優の仁美美綾)が誕生します。

1990年に妻と別居して1991年6月に離婚しました。
同年の12月に上原謙さんは82歳で逝去してます。

 

新藤兼人(66歳)26年間愛人から女優の乙羽信子と再婚

乙羽信子出典https://conex-eco.co.jp/

二人の簡単にまとめた経歴

新藤兼人
1本の映画を見て映画の道を志す、しかし、下積時代が長く続き途中で徴兵で日本海軍に招集され二等兵に
1945年(昭和20年)に第二次世界大戦終戦を迎える。

下積みの末に
『脚本家』としてデビュー
『映画監督』としてデビュー

1996年に第14回川喜多賞・1997年(平成9年)に文化功労者・2002年(平成14年)に文化勲章を授与
『裸の島』『裸の十九才』でグランプリ、『生きたい』で金賞を受賞
モスクワ国際映画祭では、2003年(平成15年)に特別賞を受賞

2012年(平成24年)5月29日、老衰のため東京都港区の自宅で亡くなる、満100歳で逝去


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乙羽信子
1937年に宝塚音楽歌劇学校(現、宝塚音楽学校)に入学。
宝塚歌劇団27期生。同期生に越路吹雪、月丘夢路、東郷晴子、大路三千緒、浦島千歌子、瑠璃豊美らがいる。

1950年に宝塚歌劇団を退団
退団後、大映に入社する。大映は、宝塚時代から人気のあったえくぼに「百萬弗のゑくぼ」というキャッチフレーズをつけて、純情型のスターとして売り出す。

デビュー作は同年の新藤兼人脚本、木村恵吾監督の『處女峰』で、上原謙と共演した。その後、何作かに出演した後、1951年(昭和26年)の新藤兼人の第1回監督作品『愛妻物語』で、夫を陰で支える妻を演じ、映画界でもスターの地位を手に入れる。

1952年(昭和27年)、「近代映画協会」を設立していた新藤の第1回自主制作映画『原爆の子』に大映の反対を押し切って出演する。これを機に大映を退社し、近代映画協会の同人となる。

1994年(平成6年)12月22日午前、肝臓癌による肝硬変で死去。享年70歳

 

王貞治(78歳)が60歳の一般女性と再婚

王貞治出典https://gendai.ismedia.jp/articles/-/1869

 

2018年5月に福岡ソフトバンクホークス会長の王貞治氏(78歳)は、60歳の一般女性Nさんと結婚

1966年に最初の妻、恭子さんと結婚、3女をもうけます。次女は、王理恵。
2001年12月に恭子夫人は、胃がんのために57歳で逝去。

王さんは、2006年に胃がんを患った時に現妻のNさんが看病していました。
2008年から同棲を開始。前妻の死後、10年を経て入籍したそうです。

 

記事のまとめです。

最後まで記事を見ていただき ありがとうございます。
今回、2記事目の記事は如何でしたでしょうか?
これからは、誰もが読みたくなる様な記事を発信して行きますので

よろしくお願いいたします。


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